ぼくが「死にたい」とつぶやいてたわけ
過去の失敗をフラッシュバックした時
「死にたい」
とつぶやくことがよくある
本当に死にたいわけではない
ただ、過去に失敗してしまった自分をかき消すように、「死にたい」とつぶやくのだ
とうの昔の出来事だから、その思い出を鮮明に記憶しているのは僕だけだろう
それでも過去に引き戻されたら、その時に味わった屈辱的な気持ちが蘇り、消し去りたくなる
過去をキャンセルしたいという思いの中、「死にたい」とつぶやく
そして、今日も十年以上前の失敗の記憶から逃げるためにその言葉をつぶやいた
ただ、今日気づいたことがある
不器用な自分だ
その失敗をしてしまった瞬間にもし失敗していなかったとしても、また別の瞬間にその失敗をしていたことだろう
だけど、失敗は失敗のままで終わらない
失敗の記憶は鮮明に残っている分、同じ失敗を回避する行動を意識的に、もしくは無意識下にとっている自分がいる
過去の失敗を通して、ぼくは学び、今の自分を形づくっている
フラッシュバックされる記憶の中で、何度も殺した過去の自分は情けない自分ではなかった
失敗を引き受けてくれて、ぼくを成長へと導いてくれた自分であったと気づいた
昔、私と同じように足に障害を持った婦人にかけてもらった言葉
「あの時のせいではなく、あの時のおかげで今があると考えなさい」
そう、あの時失敗したぼくのせいではなく、あの時失敗を引き受けてくれたぼくのおかげで今こうして生きている
今度からフラッシュの引き金が引かれた時、あの瞬間の自分に対して「死にたい」ではなく、「ありがとう」と言えるだろうか