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現役教師でカウンセラー志望の男がゆる〜く語ってます

僕が今もクリスチャンでいられている理由

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13歳の時に今の病気を発病した。

 

自分がなぜ病気にならなくてはいけなかったのか分からなかった。

 

私はクリスチャンの家庭に生まれ、幼少より信仰を持っていた。

 

「神様は僕を愛してくれている」

 

何度も教えられてきた。

 

しかし、神様は僕に病気を与えた。

 

「愛しているなら、なんで?」

 

自分が病気であるという現実が許せなかった。

 

ここから神様を恨むようになった。

 

「神様に頼らずに、自分の力で成功を掴み取る。」

 

そんな思いを抱き始めた。

 

成功すれば、認めてもらえれば、幸せになれると本気で思っていた。

 

だからこそ、病気でくたくただった体で、営業という不向きな仕事を我慢して続けた。

 

「結果を出せば変われる」

 

と本気で信じていたから。

 

仕事終わりに、社会人のスクールにも行った。

 

変わりたかったから。

 

当時の自分以上の自分になりたかったから。

 

神様に壊された「成功している自分」に少しでも近づきたかったから。

 

必死だった。

 

少し気が狂っていた。

 

冷静に病気と向き合っていれば、歩けなくなるまで悪くなることはなかったかもしれない。

 

 

社会人としての成功は契約という形で得ることができた。

 

でも、あまり喜びはなかった。

 

自分の力とは不釣り合いと思えるほどの大きな会社との契約だった。

 

自分の力で切り開いたというより、背後に神様の働きがあったと感じざるを得なかった。

 

自分の力の小ささに、なんか悔しかった。

 

結局、仕事は1年半で辞めた。

 

もう、足はボロボロだった。

 

仕事を辞めると、緊張の糸が切れたのか、驚くほど早いペースで足が動かなくなった。

 

当時は24歳だった。

 

「24で足が動かないって、人生終わったな」

 

ベッドの上で絶望していた。

 

すると、突然、聖書の一節が頭をよぎった。

 

「重荷、、、休み、、、平安」

 

聖書もまともに読んでいなかったから、浮かんできたワードを頼りにググった。

 

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

(マタイ11:28〜30)

 

 

御言葉が与えられたことに驚いた。

 

私は神を恨み、自分の力で生きようとしていたから。

 

その時の生活では、聖書が悪と認めている行為を幾度となく繰り返していた。

 

なのに、神は私を見捨てなかった。

 

今までの必死の抵抗をしていた自分が馬鹿らしくなって、神様に降参した。

 

すると、心に温かいものが流れ込んできた。

 

何か、「もう頑張らなくていいのだよ」と言われた気がした。

 

不思議なことにそれまでずっと不安と焦りで落ち着かなかった私の心が、安心していた。

 

成功することで、安心を得ようとしていた。

 

でも、私の心の拠り所は成功ではなく、神様なのだと気付いた瞬間であった。

 

それからは、立ち返って信仰を持っている。

 

この後5年間キリスト教の大学へ行くこととなる。

 

牧師にはならなかったが、今の職場で働くきっかけとなった。

 

そこでの5年間は宝物だった。

 

そんな体験があるから、今もクリスチャンとしていられる。

 

私の拠り所は神様であるから。