take it easy!

現役教師でカウンセラー志望の男がゆる〜く語ってます

相手の好意に感謝を素直に伝えること

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6年前、私は働きながら社会人のスクールに通っていた。

 

そのスクールでは社員がリーダーとなり、それぞれチームをつくっていた。

 

私は自分より2こ上の社員さんが率いるチームに属していた。

 

その日はチームの仲間達と一緒にご飯を食べていた。

 

仲間の一人が声をかけてくれた。

 

「何か取りましょうか?」

 

私は、取ってもらう必要はなかったので、

 

「あっ、大丈夫です。」

 

とだけ返した。

 

すると、そのやり取りを見ていたチームのリーダーが私を叱った。

 

「彼が親切にしてくれたのに、なんであなたは感謝を伝えないの?」

 

私は感謝の気持ちが無いわけではなかったが、「大丈夫です。…」の後に言葉が出てこなかった。

 

感謝の言葉を伝えるのが恥ずかしかったのだと思う。

 

あと、会話が変になるのが恐かった。

 

今思うと、助けられることに小っ恥ずかしさを感じていた。

 

相手から助けられる対象であると思われるということは、「自分が頼りない、足りない者だと思われている」という認識があった。

 

そんな思いが素直な感謝を伝えることを邪魔していた。

 

でも、私はそこで反省した。

 

会話が変になっても、相手に何かしてもらったら感謝を伝えるように努めはじめた。

 

 

 

 

それから6年が経った。

 

今では車いすで生活している。

 

一昨日、雨の中スーパーに行った時に、優しい婦人から声をかけてもらった。

 

「大丈夫ですか?」

 

私は声をかけてもらえたことに少しびっくりしつつも、

 

「大丈夫です。…

 

お気遣いありがとうございます。」

 

とマスクで声が篭らないように、大きな声で感謝を伝えた。

 

すると、婦人は微笑んで立ち去った。

 

たとえその助けがその時は必要なかったとしても、その好意に感謝をちゃんと伝える。

 

すると、相手が示してくれた好意を無碍にすることなく、温かい空気が流れる。

 

逆に感謝を伝えないと、せっかく好意を示してくれた相手を蔑ろにしてしまい、寒い空気が流れる。

 

「変な空気になる」「会話が変になる」と恐れていたのは、当時は自分のことしか見えていなかったのだとつくづく思う。

 

今では相手からの気遣いを素直に受け取り、素直に感謝を言えるようになった。

 

助けてもらうことに恥ずかしさも、苦しさもだんだんと感じなくなった。

 

会話が不器用でもいい。

 

感謝を伝えることが大切である。

 

あの時、叱ってくれたリーダーに今でも感謝している。

 

 

私の好きな落語 【芝浜】

今回は私が好きな落語、『芝浜』を紹介したいと思います。

 

 

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【あらすじ】

主人公は酒好きの魚屋の勝五郎。

勝は腕はいいが、怠け癖があって早起きして河岸に行くことを何日もサボり続けていた。

見かねた女房が勝を叩き起こし、河岸に行かせた。

だが、女房が間違えていつも起きる時間より早く起こしたため、勝が河岸についた時はまだ誰もいなかった。

仕方なく、問屋が開くまで浜で煙草を吸って時間つぶしをしていた勝。

すると、その浜で見つけたくたびれた皮財布を通して物語が動き出す。

 

 【背景】

芝浜は古典落語の名目の一つ。

落語の中でも代表される人情噺

噺の舞台が大晦日なので、実際に大晦日の寄席で披露されることが多い。

数多くの名人が芝浜を演じてきたが、私は柳家小三治師匠の芝浜が一番好きだ。

50分以上ある小三治師匠の芝浜を、これまでに冗談抜きで100回以上聴いてきた。

 

【おすすめポイント】

小三治師匠の織り成す世界観

一演目50分もあるのに、あっという間に過ぎてしまう。

小三治師匠は噺が上手いという次元を通り越して、声で世界観をつくりだしている。

聴いているうちに小三治師匠の世界観に入るから、世界観を味わいたいと思うから100回以上聞いても、また聞きたくなってしまうのであろう。

 

圧巻の落ち

今まで少ないながら落語を聴き、そして漫才、コントを人並みに観てきたが、こんな見事な落ちは小三治師匠の芝浜をもって他にはなかった。

この落ちを聴くために50分を費やしても損はない

 

自然と涙が出る

決して「泣かせよう」と演じているわけではないのに、毎回聴くたびに胸が熱くなって涙が出てしまう。

もちろん、この記事を書くために直前にも聴いたが、涙が出てきた。

どんな話の流れで、どこで落ちが来るのか、さらにお客さんがどんな反応をするのかも全部頭に入っているにも関わらずである。

 

だまされたと思ってぜひ一度聴いてみてほしい。

 

落語 「芝浜」 柳家小三治

https://youtu.be/4G8PmbYK2EE

コントロール幻想

最近世間から大バッシングを浴びているアンジャッシュの渡部さん。

 

彼に関する興味深い記事を見つけたので紹介します。

 

 

 

参考記事 

https://news.yahoo.co.jp/articles/f66f464917c1df4a915b60fb771dacdbd47677da?page=2

https://gimon-sukkiri.jp/illusion-of-control/

 

コントロール幻想とは

記事では、渡部さんがコントロール幻想だったのではないかと論じられている。

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コントロール幻想とは、「自分の力が及ばないものに対し、自分の力でそのものを支配できると思い込むこと。」

 

コントロール幻想にある者は周りに対して横柄な態度をとりがちなようだ。

 

相方の児嶋さん(あってるよね?)がラジオで渡部さんのために謝罪した時に、渡部さんが周りに対して目に余るほどの横柄な態度をとっていたことを語っていた。

 

仕事も順調、佐々木希さんを妻にして何もかもがうまくいっているうちにそのような状態へ陥っていたのか。

 

私もコントロール幻想を抱いていた

私は渡部さんのように成功した人生を歩んでいなかったが、少年のころから成功する自分を想像して、自分に酔いしれることがよくあった。

 

私にとって人生が順調だった小学高学年から中学2年生までの約4年間の成功体験が、「自分は特別である」という万能感をつくり出していた。

 

負けを認められない

コントロール幻想下にある人は負けが認められないみたいだ。

 

株式投資で「絶対に上がる」と疑いもなく一点に高額な投資をして、結果取り返しのつかなくなったケースもあるようだ。

 

私も中学で入ったテニス部ではくそ弱かったけど、「自分は特別な人間だから、経験を積み重ねれば、強くなって周りを見返せる」と引くことを選択しなかった。

 

負けることを許さなかったことで自分を追い詰めて、結局自分を病気にさせてしまった。

 

しかも、病気になった後でもその万能感は持ち続けた。

 

何の能力もないのに偉そうにして、多くの人に嫌われた。

 

負けたってゲームオーバーじゃない

株式投資において損切が一番大切」と聞いたことがある。

 

つまり、早く負けを認めて下落した株を売って、新しい株の購入を考えた方が賢明というわけだ。

 

私も早く負けを認めればよかった。

 

負けたって次の勝負がある。

 

自分が理想とした道に進めなかったとしても、新しく進んだ道で新たな出会いがある。

 

結論

渡部さんの現状は自分が蒔いた種だから自分で刈り取らなきゃいけない。

 

今は反省して、そして芸能界に戻れなくても新しい道を歩んでほしい。

 

 

 

 

一人暮らしの食費

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2017年のデータでは35歳以下の単身者の1ヶ月の食費は39,510円らしい。

 

参考 https://o-uccino.com/front/articles/56621

 

「高くない?」

 

月収20万にも満たない私の僻みである。

 

一人暮らしを始めた当初は調味料などを買い揃える必要があったし、無駄に手の込んだ料理を作っていたために、初月は食費に4万はかかった。まだ外食もしてたし。

 

4月に作っていたキーマカレーは、

ひき肉とトマト缶、野菜、卵を買ってだいたい500円くらい。

さらに、作るには1時間はかかる。

 

初めの頃は料理するのが楽しかった。

今はめんどくさい。

楽に早く済ませたい。

 

6月の食費は1.4万だった。

 

買い揃える食品も決まってきた。切れたら買いに行くのは以下の食品。

 

主食 焼きそば、パスタ、冷凍うどん(炊飯器が壊れたため米は買ってない)

具材 卵、豚バラ肉、キャベツ、キノコ各種、納豆、冷凍野菜各種

サブ 振りかけタイプの韓国のり

デザート レディーボーデン、フルグラ

 

特にキノコは優秀である。

 

エノキ、まいたけ、しめじは98円。

 

しかも冷凍保存が効くし、パスタにもうどんにも焼きそばにも入れることができる。

 

キノコは免疫を高める効果がある。

 

コロナに負けないためにもキノコを食べて、低コストで免疫を高めるのが得策であると提言したい。

 

とまぁ、外食せずに、先週の金曜日の自分へのご褒美はカップ麺のぶぶかとチョコモナカジャンボだった寂しい男の独り言でした。

 

ブックレビュー 【勝ちすぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇】

今回は大好きな野球、高校野球の監督さんについて書かれた『勝ちすぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇』についてブックレビューします。

 

 

勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇 (集英社文庫)

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【あらすじ】

2005年、北の台地に初めて甲子園の優勝旗を持って来た学校が駒大苫小牧高校である。

 

そして、翌年の2006年の夏の甲子園優勝し、連覇

 

2007年の夏の甲子園では、惜しくも早稲田実業に決勝で負けたが、準優勝

 

勝戦は、田中将大斎藤佑樹の引き分け再試合の2試合に渡る熱投で記憶に残っている方も多いのではないだろうか。

 

弱小高校だった駒大苫小牧に1998年に就任し、鍛え上げて甲子園で優勝するまでに導いたのは香田誉士史監督である。

 

彼がこの本の主人公である。

 

本著では、駒大苫小牧がいかにして強くなったか、その陰での香田監督の苦悩、駒大苫小牧を去った理由が書き記されている。

 

【背景】

駒大苫小牧高校が甲子園を連覇した時、香田監督の姿が私の中で強烈に印象に残っていた。

 

しかし、駒大苫小牧を去ってから、香田監督を甲子園で見ることがなくなった。

 

これほどの実績を築いた監督ならば駒大苫小牧を辞めても、多くの強豪校から引く手数多のはずである。

 

「49歳とまだまだ現役なはずの香田監督が甲子園に再び現れないのはおかしい」と私はずっと思っていた。

 

だが、そこに至る理由が香田監督にはあった。

 

記者嫌いな香田監督のことをスポーツ記者として張り付いていた中村氏が、香田監督、当時の選手たち、ライバルチームの監督や選手にもインタビューをして、当時の駒大苫小牧を振り返っている。

 

本著を読み進めるうちに、私の中の疑問が解かれていった。

 

【おすすめポイント】

香田監督の熱い指導

雪の多い北海道では、冬の間はグランド練習が制限される。

 

そのため、雪国は甲子園で優勝することは無理と長年言われてきた。

 

しかし、そんな雪をも溶かしてしまうくらいの熱が香田監督にはあった。

 

不器用ながらも全力で選手とぶつかる香田監督。

 

はじめはその厳しい指導に引いてしまった部員たち、香田監督自身も駒沢大学を出たてで、高校生とどう向き合ったらいいか暗中模索だったようだ。

 

高校生にとって理不尽と思える指導もあった。

 

監督と選手がぶつかりながら、少しずつチームが形になっていたった。

 

人付き合いも不器用

本音と建前を使い分けられない香田監督は、学校や支援会と揉めることがあったようだ。

 

特に、駒大苫小牧が強くなるうちに、周りの要求が高くなる。

 

はじめは部員だけを見ればよかったのに、いつの間にか周りにも気をつかう必要が出てきた。

 

タイトルの通り「勝ちすぎた」のである。

 

どこの野球監督も同じような問題と向き合っているのかなと思わされた。

 

やっぱり不器用だけど魅力的

最後に、私の好きなエピソードを一つ紹介したい。

 

毎年年末になるとOB会を開いている香田監督。

 

酔いが回っていい頃になると、突如香田監督はパンツ一枚になって叫ぶ。

 

「殴りたいヤツ、出てこい。今まで殴ったぶん、俺を殴れ!」

 

OBたちに自分から殴られにいくそうだ。

 

OB達はビンタしたり、ローキックする人もいて、結構本気で殴りに行く💦

 

そんな風に不器用でも全力で向き合わないと気が済まない香田監督。

 

人間臭くて好きだなぁ。

 

本の最後では香田監督の現在について綴られている。

 

香田監督、またいつか甲子園で見られる日を楽しみにしています。

ライフスピード

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車椅子に乗るようになって時間がゆっくり流れるようになった。

 

部活に勉強に頑張っていた中学時代も、

 

全てのやる気がなくなってゲーム三昧だった高校時代も、

 

周りのスピードになんとか合わせていた大学時代も、

 

フラフラの足で踏ん張ってた社会人時代も、

 

ずーっと何かに追われていた。

 

うん、余裕がなかった。

 

いつもギリギリ、いやアウトの方が多かったか。

 

なのに、電動車いすに乗るようになって心にゆとりが生まれた。

 

時速6キロしか出ないのに、

 

バッテリーは15キロしか保たないのに、

 

電動車いすになってから遅刻したことはほとんどない。

 

ゆとりが生まれた理由は3つある。

 

①「外出先で歩けなくなる」という不安から解放された。

 

疲れると足を引きずり出す。

「動かなくなったらどうしよう」という不安が襲ってきて、なかなか遠くへは行けなかった。

電動になったら、動ける範囲は決まってるから、その範囲を安心して移動している。

バッテリーの容量がもっと増えるといいなぁ。

 

車いすは時速6キロしか出ない。それが機械の限界だと知っているから、客観的に逆算して、出発時刻を決められるようになった。

 

歩けていた頃は、急いでいるのに動かない足にイライラして、「病気にさえなって居なければなぁ」と現実を直視できなかった。

遅刻しても、「病気だから仕方ないでしょ」という言い訳ばかり。

車いす移動になって「自分は時速6キロでしか移動できない」と受け止めて、縛りがあるからこそ余裕を見て行動するようになった。

 

③自分が障がい者であると自覚できた。 

 

杖を突いていた時ですら、電車の中で杖を隠していたことがあった。

健常者に紛れ込もうとしていた。

 

でも、もう車いすだ。

誰がどう見たって障がい者だ。

隠れようがない。

 

でも、「それでいいんだなー」と思えるようになった。

 

ぶっちゃけ、歩けていた時よりも今の方が楽だ

まだ人からの見られ方とか気にしちゃうけど、今の自分が結構好きかな。