自分のために行動できない人は他人のために行動すればいい
突然ですが、30にして今日初めてスラムダンクのアニメをちゃんと見ました。
見ようと思えばいつでも見れた
漫画喫茶にいくこともしばしばあったし、今年の3月まで通っていた大学の男子寮にはスラムダンク全巻が置いてありました。
Netflixに入っている友達に頼んで一緒に見ることだってできた。
みんなが面白いと言っていて、興味はあった。
でも読めなかった
それでも、「いまさら読む気になれない」と読むことを放棄していました。
時間やお金がもったいないと思ってしまう。
同じ理由で、ワンピースも空島以降戻ることができていない😵
興味があっても、「何のために読むのか?」という理由がないと読めないのだ。
余暇を余暇として過ごせないのがなんとも窮屈だ。
では、今回なぜ観ることになったか
現在学校で教えている子どもがスラムダンクに興味があり、共通の話題が欲しくなったからだ。
つまり、彼が面白いと思っていることを理解するために見るのだ。
引いては、教師である私が生徒の心を理解するという理由でスラムダンクを見るのである。
やはり、自分は何とも窮屈である。
そのような有益と思えるような、それも自分のためではなく他人のためという理由を付けなくてはアニメの一本も見れないのだ。
しかし、見始めると、一気にハマってしまった。8話まで一気見してしまった。
この調子で明日もスラムダンクを見られるだろう。
そして、スラムダンクを見終わったら
「英語部の先生や生徒と話すため、英語を身につけるため」という理由で海外ドラマを見るだろう
「心理カウンセラーになるため、相手の心を理解できるようになるため」という理由で心に関する映画を見るだろう
まとめ
あー非常に窮屈である。
でも、その理由によって、私の最大摩擦力に抗う力が生まれて、行動を起こすことができる。
「自分のために行動できない」というのは健全な状態ではないのかもしれないが、とりあえず「他人のためになら行動できる」のなら、その理由に乗っかって行動してしまった方がいいと私は思っている。