お悩みインターセプト 「一人暮らしの悩み」
今回はポッドキャストにて、友人の市民と2人でお悩みインターセプトをやりました。
インターセプトしたお悩みは一人暮らしの悩みです。
まとめ
・Lifull Home調べ「一人暮らしの悩み」のランキングの紹介
・ぴーひらと市民の自分たちの一人暮らしの話
・2人がお悩みを答える
◇男性1位「部屋が汚くなる」
◇女性1位「害虫を自分で駆除しなくてはいけない」
◇男性・女性2位「貯蓄ができない」
・今日のお悩みのまとめ
ポッドキャストのURL
https://anchor.fm/4dapart/episodes/3-ekhg37
お悩みインターセプト 【9月21日「ジェーン・スー生活は踊る」の放送より】
本日は久しぶりにお悩みインターセプトをしたいと思います。
(画像は「sakuramanga.net」より)
今回のお悩みは9月21日放送の「ジェーン・スー生活は踊る」より。
相談者
まちだスマイルさん(48歳男性)
相談事
「老い」と向き合い、受け入れるにはどうしたらいいのか悩んでいます。
先日48歳の誕生日を迎えました。世間一般から見れば、おじさんの年齢なのですが、気持ち的、体力的に元気で、どのように素直に老いを受け入れたらいいかわかりません。どのように気持ちの折り合いをつけたらいいかアドバイスをお願いします。
回答
私は個人的に、48歳は平均寿命が伸びたこの社会では中堅の年代で、老いを意識するには早いのではないかと感じます。それでも、まちだスマイルさんが老いを受け入れる必要があると感じているのは、20代の頃よりも体力が劣ってきて、部下や後輩が増えてきたからなのではないかと推察します。
自分の身の回りに起きている変化に柔軟に対応しようとするまちだスマイルさんの姿勢は素晴らしいと思います。
仏教では諸行無常、この世で変化しないものは何一つないと言います。キリスト教でも有名なニーバーの祈りがあります。
神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
年を取ること、老いることは誰にでもやってくることであり、変えることのできないものです。
私たちにできるのは、その変化を受け入れること。
まちだスマイルさんはその「老い」という変化に、冷静に、「これができなくなったなぁ」と自分に語りかけるように、自分を労ってあげることをするといいと思います。
しかし、「老いて弱くなった自分」と捉える必要はありません。人間は変化に対応するのが得意な生き物であると私は考えています。
私の場合、13歳の時に病気を患い、24の時から歩けなくなりました。病気になった当初は、出来なくなったことにばかり目がいき、退化している自分を意識し続けていました。それでも、その病気で変わってしまった体に対応できると、歩けなくても生活ができるんです。助けは必要ですが、私は自分で料理をし、自分で洗濯をし、一人暮らしをすることができています。さらに言えば、病気になる前よりもずっと心穏やかに生活することができています。
ですから、まちだスマイルさんは柔軟な心をお持ちなので、無理せず衰えと付き合って行ったらいいと思います。出来ることばかりに価値を置くことなく、まちだスマイルさんの存在にこそ価値があると考えると、変化を楽しめるようになるのではないかと思います。
ぼくが「死にたい」とつぶやいてたわけ
過去の失敗をフラッシュバックした時
「死にたい」
とつぶやくことがよくある
本当に死にたいわけではない
ただ、過去に失敗してしまった自分をかき消すように、「死にたい」とつぶやくのだ
とうの昔の出来事だから、その思い出を鮮明に記憶しているのは僕だけだろう
それでも過去に引き戻されたら、その時に味わった屈辱的な気持ちが蘇り、消し去りたくなる
過去をキャンセルしたいという思いの中、「死にたい」とつぶやく
そして、今日も十年以上前の失敗の記憶から逃げるためにその言葉をつぶやいた
ただ、今日気づいたことがある
不器用な自分だ
その失敗をしてしまった瞬間にもし失敗していなかったとしても、また別の瞬間にその失敗をしていたことだろう
だけど、失敗は失敗のままで終わらない
失敗の記憶は鮮明に残っている分、同じ失敗を回避する行動を意識的に、もしくは無意識下にとっている自分がいる
過去の失敗を通して、ぼくは学び、今の自分を形づくっている
フラッシュバックされる記憶の中で、何度も殺した過去の自分は情けない自分ではなかった
失敗を引き受けてくれて、ぼくを成長へと導いてくれた自分であったと気づいた
昔、私と同じように足に障害を持った婦人にかけてもらった言葉
「あの時のせいではなく、あの時のおかげで今があると考えなさい」
そう、あの時失敗したぼくのせいではなく、あの時失敗を引き受けてくれたぼくのおかげで今こうして生きている
今度からフラッシュの引き金が引かれた時、あの瞬間の自分に対して「死にたい」ではなく、「ありがとう」と言えるだろうか
【聖書】 権威を誇示する人、権威を恐れる人、権威をもろともしない人
今日は聖書の話をします。
この話は、先日教会で聞いた説教の私なりの要約です。
聖書箇所は第1サムエル記の17章です。
登場する人物は主に3人。
ストーリー
当時ペリシテとイスラエルは戦争をしていました。
当時の戦争では、両国の最強の戦士を一騎打ちさせるという風習がありました。一騎討ちに勝った側が、その戦争の勝者となりました。
ゴリアテのスペック
そして、ペリシテで1番強い戦士がゴリアテでした。
身長は3メートルあり、体には当時の最高の装備である青銅の鎧に身を包み、青銅の長槍を持っていました。さらに、自分の前に兵士に大きな盾を持たせて、攻守ともに穴がありませんでした。
恐るイスラヘルの兵とサウル王
対して、イスラエルの兵士たちはゴリアテに恐れおののいて、誰もゴリアテの前に立つ者はいませんでした。
その場合は、イスラエルの王であるサウルが国の代表として、一騎討ちに出なければいけませんでしたが、サウルもゴリアテに恐れ、ゴリアテの前に出ることができませんでした。
ゴリアテはイスラエルの兵士たちを馬鹿にし、イスラエルの神(=聖書の神のこと)を罵りました。
そこで登場したのが少年ダビデです。
ダビデのスペック
ここに出てくるダビデとはこの後、イスラエル史上最高の王様ダビデ王のことです。
しかし、ダビデはまだ少年で、兄へのお使いに駆り出されました。
当時は羊飼いをやっており、子供の中では身体能力に優れていたかもしれませんが、普通の大人と喧嘩したら一捻りされていたことでしょう。
それでも、ダビデは自分たちの神を侮辱したゴリアテに怒り、ゴリアテの前に出て行きます。
装備は丸腰で、唯一武器となる投石器をもっていました。
見かねたサウル王は、ダビデに大人用の装具を身に付けさせましたが、重くて身動きが取れず、結局ダビデは丸腰のままゴリアテに挑みます。
戦いの結果
ゴリアテもまさか子供が出てくるとは思っていませんでした。
丸腰の子供ならば装備をしていなくても勝てると高を括っていたことでしょう。
しかし、ダビデが投石した石がゴリアテの眉間に直撃し、一発でゴリアテは死んでしまいました。
3人の男たちの姿
ゴリアテ:権威を誇示する人
サウル:権威に恐る人
ダビデ:権威をもろともしない人
と整理することができると思います。
もちろんダビデの姿がかっこいいです。
最近で言えば、自分の信条を曲げない姿は半沢直樹に通ずるところがあると感じます。
感じたこと
しかし、実際自分はサウルのように権威を恐れ、権威を羨む生き方をしていました。
学歴、資格、会社、人脈、能力、人気、、、
どれも欲しかった。
それらの権威を自分に付けたくてしょうがなかった。
それらの権威を恐れ、羨んだために自分を曲げたことだって何度もあったと振り返って思う。
今更、自分を曲げたってしょうがないのに、権威を追い求めるなんてアホらしいな俺
脱出ゲーム好きがおすすめするゲーム5選
十日ぶりの投稿になってしまいましたね。
暑さでバテ気味です💦
最近はクーラーの効いた部屋にこもって、脱出ゲームに熱中していました。
元々高校生の時から脱出ゲームは好きでプレーしていました。
そこで、今回は脱出の魅力と、私が好きな脱出ゲームを難易度別に紹介したいと思います。
脱出ゲームの魅力
データ量が少ないけど、ゲーム性は高い
基本背景は静止画なので、データ量は少ないです。なのですぐにインストール出来て、すぐにプレーできます。
ただ、データは少なくても、クリエーターは作り込んでいるので非常にアイディアに富んでいて、ゲーム性は高いです。
自然とゲームの世界に入れる
脱出ゲームはプレイヤー視点なので、「自分が閉じ込められている」という感覚を持ちます。
なので、プレーを始めると、「意地でも脱出したい!」と熱が入ります。
仕掛けを解く楽しみ
脱出ゲームでは、道具を組み合わせたり、様々なオブジェを解読して、そこに紐づいた数字や記号を入力したりします。
難易度が高くなれば、どれも一筋縄では解けないものばかりです。だからこそ、それを解いた時の達成感と脱出できた時の開放感は一入です。
次におすすめのゲームを紹介します。
おすすめのゲーム
難易度:簡単
「ママにゲームを隠された」
名前の通り、ママが隠したゲームを見つけるゲームです。1ステージが非常に短いので、サクッとできます。笑いの要素もあって、楽にプレーできる脱出ゲームです。
脱出ゲームは閉じ込められているので、怖さがあるのですが、このゲームには一切ないです。
人気があり、今ではバージョン3まで出ています。
難易度:普通
「DOORS」
一部屋ごとに仕掛けがあり、その仕掛けを解いたら、また次の部屋に進むという脱出ゲームです。
このゲームも人気があり、バージョン5まで出ているようです。
「リゾートホテルからの脱出」
仕掛けを解くのは簡単ではないけど、プレイヤーとしては納得のいく仕掛けになっているので、プレーしやすい脱出ゲームです。
ちなみに、私は脱出まで2時間かかりました。
難易度:難しい
「garden 」
死してなお溢れ出る岡本太郎の生命力【自分の中に毒を持て】
今日は岡本太郎さんが記した『自分の中に毒を持て』のブックレビューします。
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【あらすじ】
本著の冒頭がこのような文言から始まる。
いのちを賭けて運命と対決するのだ。
そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。
己が最大の味方であり、また敵なのである。
しかし、現状維持、自己保身をしてしまうのが人間の性である。
そして、日本のことを「大きな一つの村」と称して、出た杭は打たれるのがこの日本社会であることを岡本氏は嘆いている。
だが、それでもなお
「出る杭でありなさい」
と岡本太郎氏は読者を鼓舞している。
本著では、岡本氏が辿ってきた人生を読者に明かし、ロードマップに沿った当たり障りのない人生を選択するのではなく、たとえ結果がついてこなかったとしても、
己の血がたぎるような道を選択して歩んだ方が自分の人生を生きたことになるだろうと読者に迫っている。
そのためには流される生き方ではなく、流れに逆行する生き方をする必要がある。
だからこそ、己の人生を逆張りをするために自分の中に毒を持たなくてはならない。
【背景】
岡本氏は幼少期、生徒は教師に絶対服従という日本の学校教育に疑問を持ち、小学校を3回転校した。
ガキ大将に媚びることも嫌い、一人大将としてつっぱっていたようだ。
そして、18歳で画家になるために親の反対を振り切って、フランスに出て行った。
フランスでは普通のカフェで青年たちが政治についての論争している。
岡本氏も画家の友人たちと芸術や政治についてコーヒー一杯で熱く語り明かしたという。
フランスでの日々が岡本氏の情熱を大いに沸き立たせた。
そんな自分の人生を歩んできた岡本氏が、閉鎖された日本社会を嘆くのは当然のことと言える。
岡本氏だからこそ言える熱い言葉がこの本には詰まっている。
【個人的に刺さったポイント】
恥ずかしながら、本著を読むまで私は岡本太郎さんについてよく知りませんでした。
しかし、本著を読み進めていくうちに、岡本太郎さんの力強い生き様に魅せられて、心が激しく揺さぶられました。
特に私の心が揺さぶられた箇所を3つ紹介したい。
他人の目も、自分の目も気にするな
何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、萎縮せず、ありのままに生きていけばいい。
"他人の目"だけでなく"自分の目"を気にしないという言葉に心が刺さりました。
私は何か事を始めても、途中で躓くと、「やっぱり今始めても遅かったんだ」と諦めのマインドがチラついていました。
しかし、そんな弱気の心すらも無視して、自分のやりたい事、やり遂げたい事に全てを賭ける事を教わりました。
そう、他人の目も、自分の目すらも気にしない。
芸術は人間になくてはならないものだ
この世界に必要なことは、芸術・政治・経済の三権分立である。
正直、この言葉を目にした時に、「芸術って、そこまで大切なものなのか?」と疑問に思ってしまいました。
しかし、この後の岡本氏の言葉
国や組織ばかり太っても、一人一人の中身は逆に貧しくなってしまったではないか。
失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。
自分も経済や必要に追われて、芸術的な人間性をお座なりにしていたということを思わされた。
実際日本は余裕がない社会になっている。
一人一人が芸術的な感性を膨らましていくことが日本人を本当に豊かにすると教えられた。
「死」を現前にしたときの清々しさ
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。
死ぬもよし、生きるもよし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらめくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。
私はクリスチャンであるから、この人生に目的がないというところは共感できないが、生に固執せずに今やるべきことに全てを賭ける姿勢にはただただ尊敬の念を抱いた。
ここまで本気で今を生きることができたらさぞ清々しいことだろう。
お悩みインターセプト 【7/28放送の「高橋みなみのこれから、何する?」より】
昨日投稿したラジオ番組からのお悩み相談インターセプト企画が意外にも好評だったため、早速第2弾をやります!
(画像はsponichi.co.jpより引用)
今日はTokyo FMで放送されている「高橋みなみのこれから、何する?」より、7/28の放送で寄せられた悩み相談をインターセプトします。
相談者:チップさん
相談事:私は同じ部署に派遣として15年働いています。同じ部署の社員さんにどうしても嫉妬してしまいます。
理由はミスばかりしてもほっとかれているところです。私の考えとしては、社員さんには派遣の模範としてバリバリ働いて欲しいのですが、定年間際の社員さんはミスが多く、でも、誰からも怒られていないのです。何か納得できない自分がいます。こういう感情をどうしたらいいでしょうか。
私:相談者のチップさんは嫉妬に苦しんでいることを自覚していて、この相談を送ってこられたことが伺えます。
送られてきた文面を素直に読むと、チップさんが納得いくためには、
「ミスの多いのに誰からも怒られない定年間際の社員の人が、ある日からミスが無くなり、バリバリ働いて派遣の人の見本になればいい」
と読み取れます。
そんなことはほとんど起こり得ないでしょうが、もしその様になったらチップさんは納得がいくでしょうか。
もしくは、
定年間際の社員さんが突然周りからミスを怒られるようになったら、チップさんは納得がいくでしょうか。
私の予想では、どんな状況になってもチップさんは社員さんや周りの人との比較材料を探してしまい、納得にはたどり着けないと思います。
それは、他人との比較で自分を判断されているから。
「私は派遣だから...」
「あの人は社員なのに...」
チップさんにはアドラー心理学についての著書『嫌われる勇気』を読むことをおすすめします。
それは、作中に出てくる、劣等感を抱えた青年とチップさんが似ていると感じだからです。
この本のタイトルは『嫌われる勇気』ですが、読んでみると、『幸せを選び取るための勇気』について書かれていることに気づきます。
人との比較の中に生きてしまったら、人は本当に幸せになれないとアドラーは説きます。
アドラーは人との競争を否定しています。
そしてまた、上下関係すらも否定しています。
肩書きの上下、年収の上下、待遇の上下
人は比較しようと思えばいくらでも比較ができます。
しかし、比較することで一時的な優越感を得たり、一方的な劣等感を感じることで人は本当に幸せにはなれません。
ならば、「その比較の世界から一歩足を踏み出してみませんか?」と『嫌われる勇気』では投げかけています。
アドラーは人生を、上下の関係ではなく、みんなただただ広い平面を歩いていると評しています。
前を歩く人もいれば、後ろを歩く人もいる。
1番前を進む人が偉いのでは無く、最後尾が偉くないのでもない。
人間にとって大切なことは「今よりも前に進むこと」とアドラーは説いています。
チップさん、足元を見てみてください。
その会社であなたは15年も働いた実績があるじゃないですか。
一年半しか仕事が続かなかった私から見たら凄い実際です。
チップさんのやりがいは何ですか?
チップさんの生きがいは何ですか?
これからは自分の幸せを選び取る人生を生きるのはどうでしょうか。
過去は関係ない、今を生きてください。
チップさんはチップさんの人生を歩んでください。
ちなみに、本家のラジオの方でも、「比較すること」から脱出することについて説明していました。